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中欧旅行記  その16 ~ブダペスト後半~

7月12日(月)、ブダペスト半日観光前半の続きです。

①地質学研究所→②市民公園、英雄広場→③リスト記念博物館→④工芸美術館→⑤郵便貯金局→⑥聖イシュトヴァーン大聖堂→⑦マーチャーシュ教会、王宮の丘→⑧中央市場、その後自由行動(⑨国立オペラ劇場へ)

の後半です。

⑥聖イシュトヴァーン大聖堂

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ドームの高さは 96メートル。96というのはハンガリーでは特別な数字なので(1896年が建国1000年祭)。

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中央祭壇には、キリスト像でもマリア像でもなく初代ハンガリー国王イシュトバーンが祀られています。ハンガリーはもともとウラル山脈麓のアジア系騎馬民俗が移動してきたフン族が建国した国です。

本来キリスト教徒ではなかったのですが、ヨーロッパ内での位置づけのためキリスト教をつかって統一を図ったためこのような中途半端?なことになったのでしょう。

アジア系なので、ハンガリー人の名前は日本人と同じく名字が先、言語も日本語と同系統だそうです。要するに、○○は・・・・を・・した。という語順ね。

最大の見所は^^;、イシュトバーンの右手のミイラ!

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ピンぼけてるんですが、ワンコイン入れると数十秒ライトがついてその間だけ見えるようになってるんです。暗いの~。はっきり見えないしあっという間に暗くなるし。とにかく中に黒っぽい固まりがありました

ということで、どうもキリストの教えとか宗教色とかがほとんど感じられない聖堂ではありました。

さぁ、いよいよくさり橋を渡って、ブダ側に行きます。

⑦マーチャーシュ教会

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13世紀半ばにロマネスク様式で建築。その後14世紀にゴシック様式に建て替えられたが、1541年オスマントルコに占領されて、

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すっかりモスクに改装されてしまい。内部はトルコ~、状態です。すごいですよ、一面東洋的な幾何学模様なんだけどキリスト教会ってのは。

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祭壇は、
 

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17世紀になりトルコの支配からハプスブルク家に支配が移りまた教会に戻りました。ここであのエリザベートとフランツ・ヨーゼフの戴冠式が行われました。でも、イメージ違う・・ミュージカルはあくまでミュージカルなのね(汗)

広場の初代ハンガリー王イシュトバーン像。

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手には二重十字架。政策の一つとしてキリスト教を導入して国を統治したイシュトバーンが、国王でもありハンガリーの大司教でもあるという、最高権威の象徴です。あちこちで二重十字架をみかけます。

キリスト教を政治の道具として導入したということです。まぁ、宗教と政治は切り離せないのでしょうが、本来のキリスト教の十字架の意味とは隔たりがあるような気がします。ハンガリー人の宗教観も、ガランボ氏に聞いてみたかったけど、そこまで深く聞けなくて残念でした。

第2次世界大戦で大打撃を受けましたが、修復を重ねてこのような美しい姿に。

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右側は戦後改修されたときに町の美化計画の一環として造られた漁夫の砦。

砦からの眺めは抜群です。

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以上で、半日観光終了です。

自由行動になりますが、ここで放り出されても大変なので、中央市場までバンで送ってもらいました。

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続く


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コメント

エーヤン、エリザベート! ですね(^^)。
桜桃さんのおかげで、めったに見ることができない場所を見られて嬉しいです。
キリスト教会とモスクが融合していて、なんとも不思議な空間ですね。
大聖堂の祭壇に国王像があるのも面白い!

Tompeiさん

今日も雨ですね~。コメントありがとうございます。

あちこちでエリザベートに出会ってきたんですが、舞台のイメージが・・^^;;
実在していたとわかっていても、やはりこの世のものとは思えない存在のような気がしました。

>大聖堂の祭壇に国王像があるのも面白い!
考えられないですよね。征服者として君臨するため信仰の対象にしたわけですよね。徳川家康が日光東照宮に祀られてるのと同じ感覚なのかなぁと。

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