中欧旅行記 その17 ~リスト記念博物館~
その16の続きです。
7月12日(月)、午前中のブダペスト市内観光。現地ガイドのガランボ氏にお願いして一般的観光コースに追加して、リスト記念博物館に連れて行ってもらいました。私のたってのお願いを聞き入れてくれまして。こういうところ、個人旅行の利点です。
もう一つ、リスト音楽院にも行きたかったけれど、こちらは夏休み中で休校、改修工事中で見学不可でした。残念。どちらにしても他のメンバーは多分全く興味なかったと思う。貴重な時間をありがたや。
③リスト・フェレンツ記念博物館
馴染みの呼び方ではフランツ・リスト。ハンガリーでは名字が先なのでリスト・フェレンツですね。彼はオーストリア系ハンガリー人の父とフランス人の母の間に、1811年生まれました。11歳までハンガリーに住みその後フランスに移住。
晩年この地に住んで1979年、音楽学校開校。ピアノ教師としても大変面倒見もよく、一流の教師だったそうです。
ハンガリー語を最後まであまりしゃべれなかったそうですけど(そうなんだぁ~)、ハンガリーをとても愛していたようです。1886年バイロイトにて没。
まず、入り口でチケットを購入。カメラ撮影は別料金。当然私だけお支払い。日本円でカメラ1台につき約500円也。このカメラ1台につきってのがその時は理解出来なかった・・。
日本で言う、土足厳禁状態。
靴の上にこんなものを履きます指先でつまみたくなるような年季の入った物でございました。靴を脱ぐ習慣がないというのはこういうことなのね・・・。
階段を上ります。2階が住居だったんですって。
まずは!ドンと
お隣の部屋は、ゆったり。
わ~、ここにリストがいたんだぁ~。感激!
女性の写真は、娘のコジマ。最初はハンス・フォン・ビューロの妻になり、その後重複期間を経て^^;; ワーグナーの妻となりました。
お父さんのリストもだけど、異性関係はかなりドラマチックだったようですね~
作曲用のピアノ?なのか、引き出しに入ってます。自筆楽譜とお手紙。
変わりピアノもあります。小さいの。
リストは、非常に練習熱心なピアニストで、毎日何時間も練習しました(耳が痛い・・)。当然演奏旅行も多く移動が多かったので、どこででも練習出来るようにと携帯ピアノ持参で旅をしたようです。
旅グッズ一式
ホワイトくんもぶらさげて定額給付金クンで撮影していたら、監視員のオバサンが手を振る。ニコニコしながら、ホワイトくんを指さして○×※◆~~。え???シャッターを押してやろうと言ってるわけでもないし、???人差し指を立てる。あわててカメラ撮影のチケットを見せるとワンとか言う。
ようやくそこで理解。撮影はカメラ一台につき一枚チケットを買わなくちゃダメだから、ホワイトくんで撮影するな、と言われてたらしい。フツーは1台しかカメラなんて持ってないよね
弟子たちにレッスンをしていたお部屋。
ああ!バカバカ。リストの有名な肖像画の顔がちょん切れてる。
リストの名前が入ってます。
もう一台。
リストの手!
そうだ!リストはベートーヴェンを敬愛していたので、ちゃんとありました。ベートーヴェンのピアノソナタの楽譜。
リストが使ったんだ~~~。
こんな感じの本箱
ツァーのコースにはめったに入らない場所なので、観光客も私たちと他に一人日本人らしき女性のみ。
同行の友人たちには気の毒だったけれど、行くことが出来てよかったです。
続く。
最近のコメント