« 2011年3月 | トップページ | 2011年5月 »
その5の続きです。
3月22日(火)、早朝パリからバルセロナへ。市内観光、モンセラ観光を終えて
18:00ホテル到着。荷物を置いてまたすぐに晩ご飯に出掛けます。ふ~。頑張ろ…。
ホテルは市街地からちょっと外れたところにあります。JTBのツァーは割と良いホテルだけれど、町から離れてるんですよね~。
オリンピック村に近い比較的新しいエリアです。
さ、晩ご飯。
今晩は、お魚料理です。カネロニ風グラタン、サーモンステーキ。お決まりのトマトのトッピングのパン。デザートはプディング。飲み物はサングリア。
豊かな海の幸と果物や野菜を陳列してありました。
アーティチョークはそろそろ旬の終わり頃。
オリンピック村の夜景です。
これで終わりかと思ったら市中引き回しはまだまだ続く。もういいんだけど・・・。
サグラダファミリアのライトアップ。もういいよね^^;
受難のファサード側。
お疲れさまでした!それよりも、
テレビのチャンネル数はええっと、日本の半分以下、地元ニュースと娯楽関連、CNNとBBC放送だけです。究極の節電でしょうか^^;?
ニュースは原発、Fukusima関連のことをずっと流しています。震災というよりも原発でした。どうやら放射能の被害のことを専門家がいろいろしゃべってるらしい(言葉がわからんが明らかに深刻そうなのでわかる)
これじゃあ、飛行機が飛んでくれないのも外国観光客が激減というのも理解できました。
なんとか、荷物を開いてようやく12時就寝。長い長い一日が終わりました。
でも、朝ちゃんと目覚めるのよね。というか、しっかり寝たとおもってもまだ3時とか、細切れになって結局朝6時前からごそごそ。
3月23日(水)、早朝のホテルの前。
ホテルの朝食は新鮮な果物や野菜が豊富でパンも種類が多くて美味しかったぁ。さぁ、食べたら、今日は一日バルセロナで過ごします。出発です。続く。
その4の続きです。
3月22日(火)、昼食後、引き回しはまだまだ続く。
バルセロナの郊外、モンセラ(ット)へ。バルセロナから北東へ約57㎞のところです。
奇岩群が有名で、中腹には9世紀に修道院が建てられ、その後頂上にも修道院が建てられて、聖地となっています。モンセラ(ット)とはのこぎり山という意味。
車窓から
修道院は、1811年ナポレオン率いるフランス軍に破壊されたためその後19世紀から20世紀にかけて再建され、現在もいろんな所を修復工事中です。
修道院内にある教会と中庭です。
12世紀に山中の祠からみつかったと言われている黒いマリアさま、ラ・モレネータが安置されています。
黒い玉を撫でながら願うと叶うと言われています。もうもうこのときの祈りは一つ。震災を受けた日本への思いしかなかったなぁ。
私たちもささやかですが、献灯してきました。
眼下に広がる景色
険しい岩の上にこのような立派な修道院を建てる。今更ながらにキリスト教支配の力を見せつけられました。だからこそナポレオンが破壊したんですよね。
バルセロナからパリへの飛行機から眺めるモンセラ。おお!と思わず大感動しました。ここを通るとすぐにピレネー山脈が見えて向こうにフランス。ヨーロッパは地続きなんだって再認識です。(3月24日撮影)
雨に少々降られたのだけれど、ほとんど濡れずにまた車中の人となりバルセロナに戻ります。
夜のバルセロナへ続く。
その3の続きです。
3月22日(火)、バルセロナ市中引き回し市内観光は続きます。
坂を登っていくと山までの中腹にある
③グエル公園
ガウディのスポンサーであるグエルが宅地として造成したけれど、結局売れなくて、ガウディとグエルの家が造られただけで、その後公園になりました。
グエル公園のシンボル、大とかげがおりました~
ガウディお得意の破砕タイルを使ったモザイクの技法。この技法は廃物利用だそうです。割れたスペインタイルを再利用をして見事な装飾となります。究極の芸術的リサイクルですね。
天井も~
市中引き回しに疲れ、撮る腕はイマイチでわかりにくいかもですが、何に見えるでしょう~。
答え。拡大すると
スヌーピーでした。これらのモザイクの多くはガウディの弟子のジュジョールの作品だそうです。
中央広場と波形のベンチ。世界一座りやすいベンチだそうですよ。座ろうにも空いてなかったけど。
回廊です。続々と某お酒メーカーのCMの場所が出てきます。この会社のCMはずっとセンス良いですよね~。その当時から行きたい!と思っていてとうとう念願がかないました。
そして、そして、玄関の二つの建物。
の一つ、
これって、何に見えますか?
ヘンゼルとグレーテルのお菓子の家をイメージして造ったそうです。
ココに来る前は随分くたびれてたんですが、あちこちにガウディの遊び心が見えて俄然元気になってきました。
そして、いよいよようやくお昼ご飯だぁ。
④昼食
タパスのお店へ
カタルーニャ地方は食材が豊富なのでいろんなものが楽しめます。タパスで有名なのがソパ・デ・アホ(にんにくのスープ)。画像右上から二つの赤いのね。コクがあって美味しかった。
すべてとっても美味しいんです。スペインオムレツはピカイチでしたが。でもでも、これで4人分。食べ切れんだろう・・・。
もうあとは寝るだけ・・、とは問屋が卸さない。市中いえ、市外まで引き回しは続く。
その2の続きです。
3月22日(火)、9:30バルセロナ・プラット空港到着、バスでバルセロナ市街地へ向かいます。
早速市内観光へ。
とはいえ、全く予習してきてないし、パリ泊だ、バルセロナだと言われるがままに連れてこられた感があり実感のないまま車中の人になってしまったので、イマイチ乗れてない私でした。
ということで車窓から写真撮ってきたけどまるで頭に入ってない。バルセロナの街の地図でも頭に入れていれば違ってたんでしょうけど。ごちゃごちゃとガイドさんが説明してても頭の上をスルーしてました。後で思えばもったいないことでしたね。
一応地図と、車窓からは順を追ってコラージュにしてみました。
一応順を追ってコラージュにしてみました。
①バルセロナの町並み、車窓から
街の様子はわかるかな。古い石造りの建物とちょっと新しいものとが混然としています。
そしてバルセロナと言えば、
②サグラダ・ファミリア
突然眼前に広がって、思わずわ~と歓声。
見上げると。。
くねくねにょきにょき。何とも言えない雰囲気です~。
内部は、近代的。
教皇ベネディクト16世がミサを執り行うため訪西することになり2010年完成させたそうですよ。
おお!ガウディのお墓があります。向こうに見える茶色い四角のところ。ろうそくが赤く見えるところね。
1882年に着工されたこの教会は当初別の建築家により建設が始まります。その後1883年ガウディ31歳の時に引き継ぎ、彼の建築人生のすべてを捧げました。が、この教会は贖罪教会といって、信者の寄進のみで賄われるため遅々として進みませんでした。
ガウディはこの教会を完成させるために、身体に気をつけて、お酒も飲まず食べ物にも気を使い、家からここまで毎日歩いて通っていたそうです。そして収入のほとんどをこの教会につぎ込んで全身全霊を教会建築に注いでいました。
それなのに1926年72歳の時、市電に轢かれて死んでしまいます。あまりにみすぼらしい身なりだったのでガウディと気付かず放置されて死んでしまったとのこと。
建物は現在も未完です。その後拝観料などが増えたために、ガウディが残した設計図をもとに建設が進められてようやく2020年に完成予定となったようですよ。ガウディが亡くなって約100年後に完成する・・。100年以上前の彼の感覚は現代でも斬新です。
後ろ側。西になりますがこちらはキリストの受難を表しています。ガウディの設計図を基に1954年に建築が始まりました。
けれど、昨夜パリに着いて、早朝バルセロナに移動。シャルルドゴール空港の待ち時間に食べたパンと缶ジュースにリンゴ一個の朝食から飲まず食わずですでにもう12時。市中引き回しの目に遭ってる気分になってきてました。パックツァーだし変則だし仕方ないけど大感動は最初の一目だけ、ってのがホントの気持ち
いよいよ、昼食、じゃなくてまだまだ市内観光は続きます。
続く。
ざわざわ気持ちが落ち着かないまま、足を怪我してますますテンションが下がり、桜便りにも参加出来ないまま桜も散り。でも、それでも日は過ぎるわけで。
せっかく初めてのパリとバルセロナのお写真撮ってきたのだから、気を取り直して旅行紀一生懸命書かせていただきます。またまたダラダラになる気もするのですが、よろしくお付き合い下さいませ。
2011年3月21日(月)、前日に発表会を終えて次の日に出発という無謀な計画、というか、休める日を考えるとそうせざるを得なかったのだけれど。で、21日出発のパック旅行を探したら丁度いいのが見つかった。「情熱のバルセロナ・華の都パリ8日間」いいよね~。
当初スペインだけにしようかとも思ったのだけれど、前回、ウィーンをはずしてチェコハンガリーなどというマイナーな旅行をしたので、今回はメジャーで、ということでパリにゆっくり滞在できるツァーに決定。というか、21日出発で丁度いいのがこれしかなかったのが一番の理由です。
ところが3月11日のあの大震災。それどころではなくなってしまいました。
発表会はどうする。計画停電に翻弄され、レッスン変更しつつ、発表会出来る、出来ない?悩みながら堂々巡りの一週間。
そんな中、旅行会社から電話。飛行機が飛ばない可能性がある。放射能の影響で成田には外国の飛行機会社が来てくれないからどんどんキャンセルになりつつあるとの連絡。
私たちが使う予定のエールフランスは現時点では飛んではいるけれど、成田シャルルドゴール直行便ではなくてすべて韓国仁川経由となるため、シャルルドゴール空港でのバルセロナへの乗り継ぎが当日出来ない。そのため、到着日はパリ泊、となりその後の予定が大幅に変更になるとのこと。また帰りの便が確保出来ていないのでパリで延泊の可能性があると連絡がありました。とにかく刻々と飛行機の状況が変わるので先が読めないとのことでした。
今なら少々世の中見た目は落ち着きを取り戻しつつありますが、その時は日本中が混沌としていましたね。なんだかとっても遠い昔のことのような気がします。いえ、11日以降、なんだかそれまでと別の時間を日本全体が生きていた気がします。
世の中がそんな時なのに、私は一年に一度の一番大きい行事をすませて、海外旅行にまで行ってしまって、挙げ句の果てに、足を固定して動けない事態になっていて・・・。おまけに一生に一度の母校の同窓会の雑務が降ってわいてきたり、来年の発表会会場の確保があったり。人生の何年か分をこの一ヶ月に凝縮して生きている気がします
そして今、世の中が落ち着いてなかったんじゃなくて私が一番落ち着いていなかったのかもしれないと、家に引き籠もって、世間の中に入らず一人人生について猛省する毎日なのです。ハハハ・・・、そしてこういう時は最後は笑うしかないのです
さて、旅行ですが、バルセロナの変更はともかく帰って来られない可能性が出てきました。私はなんとか生徒さんに頭を下げるにしても、夫はどうする。帰って来たとき机が窓際ならともかく無くなってたらどうするよ
でも、そちらもありがたいことに、せっかくだからと背中を押していただいて。
ホントにいいのかなぁ~、世の中こんな時に、遊びに行って、という後ろめたい気持ちはいっぱいあったのですが、とにかくするといったん決めたことはすべてしよう!ということで、発表会も旅行も決行してしまいました。
結果、大いに申し訳ない気持ちではあったのだけれど、発表会も旅行も催行して良かったと改めて思っています。その時その時、出来ることを常に考えて生きているわけですから、いったん決めたことはとにかくする!
この姿勢は、何にしてもずっと貫きたいと改めて思っています(って、猛省の成果は全くないなぁ^^;)
前置き長ッ(いつものことよ、とは突っ込まないで)
3月21日月曜日(春分の日)、成田9時到着をめざして出発です。成田エクスプレスは運行中止だしリムジンバスもこういう状況では読めないので、在来線と京成特急を使って成田へ。
成田は雨。いよいよ出発です。11:45成田発→シャルルドゴール直行便と言いつつ仁川経由。
約2時間で仁川空港だぁ。
給油と乗務員交代、荷物の積み込みで2時間機内に閉じ込められたまま停泊です。乗務員は成田のビルの外に出ないんですって^^;;;
15:30 仁川空港離陸、いよいよヨーロッパに向けて飛びます。
機内食は2食。多分これが21日の晩ご飯。 韓国風だけど日本食だけどフランス風という。まぁめったにいただけない機内食ですね。
で、もう一回、21日の晩ご飯になるのかなぁ。
現地時間、21日19:30シャルルドゴール空港到着。約16時間かけてたどり着きました。 こんな感じで旅行記続けます。前置き長すぎたので次回からはもっと短くしますが。。。
続く。
その1の続きです。
3月21日(月)~3月28日(月)、題して『情熱のバルセロナ・華の都パリ8日間』スタートです。
ホントなら成田からシャルルドゴール経由でバルセロナの予定でしたが、16時間かけて現地時間19:30分到着してそのままパリ泊。次の早朝5時にホテルを出てバルセロナへという強行軍で始まりました。
21日機中泊→21日パリ泊→
22日バルセロナ移動、市内観光→モンセラ観光、バルセロナ泊→
23日市内観光午後自由行動、バルセロナ泊→
24日パリに移動後パリ市内観光、パリ泊→
25日モンサンミッシェル観光、パリ泊→
26日ベルサイユ宮殿へ、その後自由行動、パリ泊→
27日一日パリ自由行動、17:00過ぎにシャルルドゴール空港へ、機中泊→
28日成田到着。
って、書いててわけわからなくなりました。ボチボチ更新していきますね。
まずは泊まるはずの無かった、空港近くのホテルへ。
3月22日、早朝のシャルルドゴール空港。パリ発7:40、パルセロナ9:20到着予定です。
そして、広くて新しいバルセロナの空港到着。さ、いよいよ市内観光に出発です。
今回のツァーは半分以上キャンセルが出て総勢12名という小規模なツァーとなりました。で、すべて二人組の参加で、4組が新婚旅行のカップル。ということは、私たちは残り二組ですね。そしてその一組は今度中学生というお嬢さんとお母様の二人連れ。なんてこと!私たちが最年長ということに。老夫婦の境地に達してしまいました
足を引っ張らない様にしなくちゃ!さ、バルセロナ市内観光に出発です。続く
4月16日(土)、東京宝塚劇場にて花組公演『愛のプレリュード/Le Paradis!!-聖なる時間(とき)-』観てきました。11:30公演です。
この日に照準を合わせて足の治療に専念して来たと言っても過言ではない!なんとしても行くべし。
頑張った甲斐があったってもんで。いや、私はどうでも・・。頑張ってたのは宝塚歌劇団のみなさまでした
友のおかげですご~く良いお席で幸せな時間を過ごしてきました。いや~、行けて良かったよ~~。今回は花組トップ真飛聖さんのさよなら公演、男役の集大成を見ずして終われようか。
昨日、またかなり大きな余震がありました。そのため、開演が約20分遅れました。まずは、異常事態が続く中、最後まで熱い熱い密度や完成度の高い舞台をみせてくれてありがとう、と言いたいです。真飛さんがかなりの覚悟と使命を持って舞台に臨まれている姿に心の底から感動をいただきました。
ミュージカル・ロマン『愛のプレリュード』
作・演出/鈴木 圭 レビュー
お芝居は、あれですよあれ、ええっと。最初は恋愛物かと思ったらなぜか友情物だったんだけど、やっぱり恋愛物だったって。そんなことはもうどうでも言いくらい、真飛さんの演技に泣かされました。小さい時から見守っている子が大きく巣立つ姿に感動する母状態
歌詞にしても、台詞にしても、さよなら仕様ですしね。帽子を私が渡されたい、と切に思った。そういう仕草一つとっても完璧でした。
で、プレリュードって何が???←素朴な疑問。え?その意味がわからないの?と言われそうだけどやっぱりわからん
ショーは良いですよ~。ショー“は”って^^;;
『Le Paradis!!(ル パラディ)』-聖なる時間(とき)-
作・演出/藤井大介
息つく暇もないくらい次々に展開していきます。あっという間に進み、真飛さんの眼前に大階段が現れる、それが泣ける。
黒エンビに、ああこれで終わるんだという寂寥感いっぱいになりました。黒エンビで大階段を降りてくる真飛さんを観ながら、まとぶん、ありがと~と心の中で呼びかけてました。
藤井センセ見直しましたよ。(私に見直されてもなんですが・・・^^;)
最後は組長さんや真飛さんから震災へのお見舞いや義援金についてのお話がありました。これも毎公演とのこと。開演が20分遅れてますのに、玄関にはちゃんと義援金の箱をもってみなさんが立たれました。毎公演毎公演だそうです。夜公演まであと20分少々しかない。ハラハラしました。頭の下がる思いです。
有終の美という言う言葉がぴったりでした。残すところ一週間。ラストスパート走り抜けて下さいね。
足を怪我して以来二週間ぶりに、電車に乗ってお出かけしてきました。
どうなることやら、でしたが無事行って帰って来られたのだけど、やっぱり少々大変でした。
節電でエスカレーターがほとんど止まっていました。階段をよろよろ。古い駅にはエレベーターもないので階段を下りるしかない。これが大変で。
日比谷から別件で泉岳寺駅まで地下鉄を使いました。都営三田線に乗ったのですが、古い構造なので山あり谷ありなのに階段しかない。それも上ったり降りたり・・・。泉岳寺駅ではこれまた階段しかなくて手すりにつかまって頑張ってあがりました。
↓は新設のホームのエレベーター表示。
私もいます^^;? 足がこんなじゃなかったら気にもとめなかったJRのホームから降りるエレベーター。初めて乗りました。エスカレーターが止まってるからね。
でも、駅が長いのでエレベーターにたどり着くまで遠かった(笑)そして改札まで上がるエレベーターまでも遠かった。
いつもならどんなところも足腰のために階段を使うのでそんなこと気にもとめなかったでしょうが、足がこんなだととても厳しい。私の足はいずれ治るからまた階段しか使わない生活にそのうち戻れるでしょう。でも、いつも必要な場合もある。
節電はもちろん大事。難しい問題だなぁと改めて実感しました。
楽しかった日比谷詣でのことはまた明日にでも。
選挙に行ってきました。投票所はすぐ近くなので。でも、ヨロヨロですか^^;
見上げたら、満開の桜。
何とかお花見出来た!
昨夜の余震、大変でしたね。みまさまはご無事でしたでしょうか?
先ほど政府からまだまだ当分規模の大きな余震に注意とでましたね。もうこれ以上被災地の方たちを苦しめないで欲しいと切に願っていますが・・・。
昨夜、緊急地震速報が出たときはまだ余裕で、すぐに揺れなかったのであんなにひどいことになるとは思ってもみませんでした。それがどんどん揺れがひどくなり、ガタガタ、ゆらゆら、ぐるぐる。
足、足、とうろたえちゃいました。固定しているからすぐに動けないんです。どうしよう。玄関の扉を開けた方が良いとは思ったけれど動けない。とにかく床に座り込んでじっと揺れが収まるまで待つしかなかった。
たかが、足のねんざでもあれだけ動揺したのだから、被災地で、すべてを無くしたり怪我をした方たちがどれだけ怖い思いをされたのかと、改めて胸が痛くなりました。どうかどうか安心して暮らせる時間を少しでも取り戻せますように。
その足。今日の足です↓おかげさまで腫れも大分引いて、随分楽になってきました。あと一息ですね。ここで無理をせず用心して早く普通に動ける様になりたいです。
またまたお見苦しくてすみません。
ますます黒ずんでますが、腫れは随分引いてきてます。とは見えない?
昨日、病院に行ったらどうやらお医者さんの診察は今後ないようで、何かご希望あるか?と受付で聞かれたので、理学療法は近所の整骨院に移っていいか頼んでみました。
そしたら、そんなことを問い合わせる患者なんていないらしく、怪訝な顔をされて、どうぞどうぞと言うことでした。みんな、自主的に足を洗うのよね、こういうのは。長期にわたるからね。
ということで、今後のことも考えていつもお世話になってるお向かいの整骨院へ。ここで役立つこの写真(と言ってブログを見せてないからね。iちゃんに撮影してたやつを見せたの)。経過をしゃべるより早い^^;;;
今週末の日比谷詣ではホントはダメだけど行きたいなら固定したままだって
でも、行くぞ!
かなりひどい、と改めて言われました。固定は最低二週間、治り方によっては三週間だって。え~、車も、ピアノのペダルも踏めないやん。アイシングも通常なら24時間長くて48時間だけど、まだむくみも腫れもあるからもう少ししろって。面倒~。
そして、これだけのねんざだと相当な痛みがあったはずだと、言われたけど、思い出そうとしても痛さは思い出せない。ということは多分その間意識飛んでたってことか・・。
ということで、これだけの怪我なのに、痛みを全く自覚せずにすんだのは幸いなことかもしれません(あくまで前向き)
足の続きはこちらへ
足のことではお騒がせしております。
おかげさまで、全く痛みはなく、ただ固定しているので不自由ですが、すこぶる元気です。
ただ、だらだらと、それも一人で、ホントだらだら~と過ごしました。PCも開かずホントぼ~として。こんな一日を過ごしたのは。う~ん、なかったかも。 だらだら~と出来るというのはやはり身体がそうして欲しいと思ってるのかなぁ。
足は、
毎日通えって言われたから、病院にいって包帯をはずしたら、こんな感じでまだまだ腫れてはいますが、黒くなってきて状態は良くなってきているようです。
鎮痛剤と消炎剤を一週間分出す病院なので早く足を洗いたいのですが・・・。明日も来いと言われてますのでほどほどのところで自主的に通院をやめることになりそうです^^;
足の続きはこちらへ。
4月2日(土)、恒例のお江戸お花見オフでしたが、みんな心がざわついてなんとなくそんな気分にもなれない今日この頃。夜の宴会は当然取りやめだけれど、せめてお昼にお花見をしてランチでも、ということで急遽場所時間変更で、芝増上寺界隈へ。
私的には31日、1日と連日いろいろ取り込んでて少々疲労感が残ってはいた。
朝、寝過ごしてバタバタと出かけた。うっかり都営三田線でこっくりして乗り過ごしそうになっておまけに集合駅間違えてて少々遅れ気味であせってもいた。
そんなこんなが理由かどうか。
増上寺へ行ったら目的のお墓の公開が震災で中止でがっくりして本堂をあとに階段を一つ降りたらふわっとあれ?階段だっけ?あれ?
あ、私落ちるんだ、としっかり意識はあってカメラカメラとカメラを左手で押さえようとして・・・気づいたら膝をついてでも足は後ろに残った状態、ッてことは階段と身体に足が挟まったわけですね。
ことの事態に呆然。ゆれいさんに支えられ、ここに座ってと言われて座ると眼前がどんどん白黒の世界になっていって。ゆれいさんにもたれかかってるのはなんとなく感じてるんだけど頭の中では他のことを考えて、今私何してるんだろうと自問してました。
ふと気づくと、zordさんが携帯片手に救急車を呼びましょうと声をかけてくださるのが聞こえてハッと我に返る。救急車は呼ばなくても大丈夫です。と答えてました。
TOKIKOさんにお水をもらって一気に。くっきもさんにはお水を自販機で買ってもらい(お水が売ってたよ!)、Tompeiさんに道案内されながらコンビニで薬局探してもらって、陶片木さんさんとぶんぶんさんが薬局で湿布薬を買ってきてくれて、
お食事では、椅子を出してもらって、座らせてもらって、荷物を片付けてもらって、要するに女王様状態。
自分で自分が嫌になりました。コントロールがなってないよね。
帰ってから土日祝日もやってる怪しい整形外科に行って、レントゲン。
骨は折れてませんでした。パンパンに腫れ上がってたので、センセ、この短い時間でこれだけ腫れてるからこの写真だけじゃわからないところが折れてるかも、と。別の角度からも撮影。放射能を必要以上に浴びたわけですね^^;
センセ、折れてませんね~。なぜがっくりする・・・(ーー;
骨は丈夫なんです。と私。
そうですね、しっかりしてますね~。何かしてますか?
何かって・・・・。ここで何の答えを求められてるんだ・・。
じゃ、リハビリ室に移動して、固定してもらって。
ということで、↑の写真となりました。20分冷やして患部に当てたスポンジが冷えたらアイシングを取って30分を繰り返すようにって。面倒だ・・。靱帯損傷でどうなるかは2006年2月に経験済みなので、まぁ、心配ないのですが。
それにしても大げさだし痛み止めの飲み薬はでるし、過剰診療のような気がしますが。
明日は日比谷詣でのはずだったけど、ダメと言われちゃった。行けるけど、3時間椅子に座ったら帰れる保証できません、ですって。足を上にあげておけますか?そりゃ無理ですね。
そんなことよりも被災地では医療器具も薬も不足しているというのに、こんな非常事態にこんなバカな怪我をしてみんなに迷惑をかけて、ホント私ってアホだと傷よりも自分のアホさ加減に心が痛いです
ご一緒してくださった皆様、ご迷惑をおかけしてごめんなさい。懲りずにこれからもよろしくお願いいたします。お初のzordさんもこれで二度と参加しないなんておっしゃらなければいいけれど。
足の続きはこちらへ。
今回の旅のベスト3!
それは、オランジェリー美術館のクロード・モネの「睡蓮」連作。
2階部分全体は二つの楕円の部屋にわけられて、天井から自然光が部屋全体に柔らかく差し込む中、壁全体をモネの絵がぐるりと取り巻いています。モネの遺言通り、他の絵は飾らずモネの睡蓮だけが展示されているのです。
一つめの部屋。
まるで睡蓮の浮かんだ池の縁を歩いているようです。
次の部屋へ。
柳の力強さと睡蓮の深い静けさとの対比が素晴らしい。 息をのむ迫力。絵との一体感をしみじみと感じました。
オルセー美術館の長蛇の列をあきらめてこちらに来たのですが、これこそ、この場でないと味わえない絵と光と空間との見事なコラボを実感できました。
もうこれで今回の旅行紀は終わって良い気分なんですけど^^;;
今の日本のこの状況下で音楽や絵画の出番はまだまだ無いけれどいずれは必要な時期が来ると信じています。
4月1日、新しく社会へ、学校へ、次へ、進まれたみなさま、おめでとう!いえ、すべての人の門出ですものみんなにおめでとう!ですね。
大変な状況は変わらないけれど、春は来る。私には私のするべき事を淡々と続けていくのみだと改めて思っています。
毎月1日は当地の公共施設の使用抽選日なので、来年の発表会の会場取りに行ってきました。なんと、よりどりみどりの番号を引き当てて、全く予想していなかったので、その場でいつにしようかおろおろしてしまいました(笑)
係りの人に、どこでも選べますよ、とまで言われてますます焦って結局最初に一応決めていた日を押さえてきました。さて、来年はどうだろうなぁ・・・。なんて取り越し苦労なんてしてないで、日々出来ることを積み重ねて行こうと思います。
桜、今年は遅いですよ~。ようやく一輪。楽しみは後から、ですね。満開の桜が待ち遠しいなぁ。ちなみに昨年の同じ場所の桜はこちら
ところで、4月1日生まれの末っ子もようやく選挙権を取得しました。届いた統一地方選挙の整理券に息子の名前があって実感。3月15日現在で作成って書いてあるけど。え?まさかエイプリルフールじゃないよね^^;
日 | 月 | 火 | 水 | 木 | 金 | 土 |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 2 | 3 | 4 | |||
5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 |
12 | 13 | 14 | 15 | 16 | 17 | 18 |
19 | 20 | 21 | 22 | 23 | 24 | 25 |
26 | 27 | 28 | 29 | 30 |
最近のコメント