Jt4.東海道踏破オフ <吉原から蒲原 その6>
その5の続き。あと少しで蒲原宿。だらだら長くなった記事もいよいよ最終。
2018年9月23日、東海道を蒲原宿へ、歩いている。下りになり、いよいよ蒲原宿へ入る。
光蓮寺。浄瑠璃姫の言い伝えのあるお寺。浄瑠璃姫は、義経を慕って三河から追いかけてきたが、病に倒れこの地で亡くなったといわれる。
浄瑠璃姫の言い伝えは、“浄瑠璃”の由来になった。
少し東海道から逸れて、義経硯水碑を見学に。ここで、義経が浄瑠璃姫に、手紙を書いたとされる。ホンマかいな
16時になった。いよいよゴールも近い。東海道、向かって右から降りてきて、左へ。蒲原宿へ。
蒲原一里塚跡。日本橋から三十八里。
離れてみると、
す、すごい・・・一里塚跡のために家をコの字にしてある。
蒲原宿に入った。
東木戸跡。
比較的見どころが多い宿場だが、17時にはバスに乗らなくてはならない。ザっと横目で観つつ歩くことに。
渡辺家、木屋三階建て土蔵。
な、なんだろう・・・。イルカすましって。気になるが、とにかく歩く。
馬頭観音。
吉田家。昭和初期まで和菓子製造を営んでいた。この建物は明治時代のもの。玄関はなまこ壁。中は柱がない店の間。とはいえ、外から覗いただけ
どんど歩くので、振り返って急いでパチリ。よくわからん画像だけれど、漆喰壁が見て取れる。
広重の“夜之雪”の記念碑もある。
広重の三大傑作のひとつとされる夜之雪だが、この蒲原宿から見える山は、
虚構の構図だけれど、しんとした山間の宿場に深々と降り積もる雪。旅人の足音が聞こえそうだ。
手作りガラスと総欅の家。1,909年(明治42年)に建てられた。当時の最先端の建築材、技術で建てられたそうだ。
波打ったガラスが美しい。
御殿道跡。三代将軍家光の御殿があったそうで、広重の描いたであろう山を御殿山、そしてこの道を御殿道と呼ぶそうだ。
旧五十嵐歯科医院。大正の建物。レンズが汚れていたらしく、画像が白濁している

志田家住宅。安政の大地震の後に建てられたと伝わる。もともと味噌屋さん。
美しい格子戸の家、増田家。
あの角を曲がれば、蒲原宿の西の端。西木戸だ。
16時50分、蒲原宿西木戸跡到着。
向こうから来た。
西木戸の茄子の辻を曲がり、東海道は由比へ。
バスのピックアップ地点。17時到着。ちゃんと歩けたね。
次回は、ここから。そして、私は、すでに3キロ先の由比駅からは歩いているので、どうしたもんか考え中。次回は、一人で由比まで歩くしかないかな。
帰りも大渋滞に巻き込まれ、21時過ぎ渋谷到着

バスのお席は、ギリギリに申し込んだので最後列だった。したがって、両隣に人がいる状態。渋滞だったけれど両隣の方たちと楽しくおしゃべりしていたら結構楽しくて渋滞が気にならなかった。こういうツァーでお一人様参加してみようという人たちは、面白い

ただ、クラブツーリズムでは、ここから由比宿、さった峠を越えて興津まで歩いたらそこからは一泊二日のお泊りになる。私は、さてどうしたもんかと思案中。
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