第13回東海道踏破オフ <浜名湖 その4>
その3の続き。
2019年4月6日から、一泊二日で浜松から新居宿まで歩いている。
一日目、浜名湖湖畔のホテルに宿泊。団体客をいっぱい受け入れる宿らしく、エレベーター混みます、温泉混みます、ご了承を、のお宿だったけれど、コスパ良し。なんといっても税込み9,500円(笑)あり得ないお値段だ。さぁ、朝ごはんを食べたらまた🚌で舞阪駅まで行って、東海道を歩こう。
朝、私は桜のお写真撮りたいもんだから先に食堂へ行ってもらってお席取ってくれてたんだけど。
なぜ一列で並んで食べてる・・・💦💦
ま、それはさておき、ホテルの朝食バイキング。
そして、ホテルに咲いていた桜はまもなく満開。
さて、昨日、駅方面に逸れたところから出発。旧東海道の松並木。現在約370本の松が植わっている。
舞阪宿の碑。
時化を知らせる浪小僧のモニュメント。
海はすごそこだ。また国道と合流。
見付跡。石垣が残っている。ここからは少々当時の風情を残す家並が続いているようだ。
舞阪の一里塚跡。日本橋より六十八里。
横に建っているのは、文化十二年(1815年)建立の常夜灯。
ここで、横で逸れて、舞阪郷土資料館へ寄ることに。
シラス漁が盛んなようだ。日曜なので、シラスいないけど。
舞阪灯台へ。とは言え、灯台の写真がなぜかなくて、灯台からの眺め。
防風林の松林を抜けて街道へ戻る。
宝珠院参道口にある常夜灯、文化六年(1809年)の大火のあと、建立。
宝珠院には、海苔の養殖をはじえた盛田屋彦之丞のお墓がある。このあたりは、海苔の養殖とシラス漁で当時から賑わっていたとのこと。
岐佐神社。古事記に登場する赤石があるとのことで寄ってみた。
とはいえ、古事記のいわれ知らないし・・・。因幡の白兎のお話に続く話らしい。大国主の尊が抱き留めたとされる石で、ほんのりと赤い。病気平癒のご利益があるとのこと。
街道沿いにはいくつか、歴史を感じさせる建物が残っている。海苔のお店。
酒屋さん
本陣跡。
舞阪宿は、「今切りの渡し」を控え、当時大変賑わった宿場だ。そのため、本陣、脇本陣、問屋などは、先ほど通過した見付からこのあたりに集まっているがほとんど遺構なども現存していない。一つだけ、残っていたものが、脇本陣の茗荷屋清兵衛跡。平成7年に、解体修復復元された建物だ。
並びに西町常夜灯。文化十年(1813年)建立。
いよいよ浜名湖到着だ。浜名湖を渡る・・・。そして、新居宿の関所まで行って、吟味を受けることになる。でも、渡れないの。今は渡しはない。
渡し場跡が残るのみ。観光船はあるみたい。今思えば、橋を渡らず、これ使えばよかったよ~(という顛末記も後日💦)
北雁木跡。
雁木、がんげと読むらしい。身分に応じて北、本、南とあった。雁木とは乗り降りのために傾斜をつけた石垣のこと。
東海道は、今切れの渡しの、ここまで。途切れているので、国道1号線に沿って歩くことになる。そして、いよいよ今回のメインイベント、鰻!予約したお店は弁天島にある。
弁天島というのは、波除用に打ち込まれた数万の杭に砂が堆積して出来上がったもの。もともと、浜名湖は淡水湖であったが明応七年(1498年)の大地震で海岸の一部が崩れて海と繋がってしまった。その切れ口を「今切口」と呼ばれた。波除用に杭がいくつも打たれて、また埋め立てなどにより、現在のような地形になっている。
東海道から少々逸れたけれど、鰻目当てに頑張って歩く。予約は12時だ。弁天島のシンボルともいえる赤い鳥居が見える。歴史的建造物じゃないけどね^^;
12時予約、頑張れ!結構遠い。予約間に合わない。ってことで、弁天さんにお参りも割愛して歩く。
太助到着!
まず、乾杯!って飲んでるし。
それはそれは大変美味しゅうございました。
続く。
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