第13回東海道踏破オフ <浜名湖 その5>

その4の続き。

2019年4月7日、いよいよ浜名湖を渡ろうとしている。

美味しい鰻を食べて、さぁ出発。

出発したのはいいのだけれど・・・。

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歩いているうちに、なぜか歩道がない道に・・・。🚗ビュンビュン。足元には浜名湖がちゃぷちゃぷと。

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歩けども歩けども、人はいない。🚗が私たちを避けて走り抜けていく。・・・私は足元が抜けているのが恐ろしくて恐ろしくて。。。言葉もなくもくもくと歩いた。

ホント、ここでいいの???

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この道は競艇場へ直接通じる道路らしい。ええ???競艇場へいっちゃいうの??

とにかく、みんな黙々と歩く。ホントはあの新幹線の向こうの道を歩くべきだったのよ。

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果たしてこのまま歩いていたらどこへ?

道路から逸れて地下道があった!!動揺していたらしくピンぼけてます💦💦



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恐ろしい道を歩いていたのは20分ほどだったけれど、延々と続くかと感じたよ。

新居の駅になんとか到着。が、ここで、使えない駅員に遭遇。とにかく駅の向こう側に行きたいわけよ。私たちは、北口の競艇場専用入り口に着いちゃったわけで。駅のメインは南口。南口に通じる公開歩道はない。駅の中を通るしかない??駅員曰く、少し向こうに白い橋があるからそこを渡れば行けるという。めっちゃ遠いのに、いとも簡単にそちらを歩けという。駅を通るなら入場券が必要。確かにそうだけれど、道に迷ってトボトボ歩いてきた私たちに、駅員は冷たく言い放つ。

なんの表示もなく、不親切極まりないのに・・。あまりの駅員の態度に、私は卓袱台返しをしそうになったけれど、みんな大人の対応をして入場券を買って南口に行ったよ。でないと東海道に行けないんだもん。

南口に行ったらようやく、こんな看板があったよ。歩いてはいけない道を歩いた私たち。。。。渡し舟より恐ろしい、競艇新大橋を渡って浜名湖を越えた私たち。。。。

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気を取り直し、新居宿を少々歩く。浜松駅から乗る帰りの新幹線の時間を考えると約40分くらいしか新居宿にはいられない。さぁ、行けるところまで歩こう。せめて一里塚までは行きたいね。

新居関所到着。
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浜名湖を渡し舟で渡ってここに船が着く。
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ようやく江戸時代に思いを馳せる建物に会えた。 

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関所で調べを受けて門を出る。
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時間がないので見学もそこそこに、もう少し先まで歩いてみた。

こんな感じで、当時の屋号を記したものが。

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紀伊国屋資料館。新居宿の旅籠で、建物自体は明治時代のものだが、修復復元されて展示されている。江戸時代の旅籠の雰囲気をのこしているそうだ。

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二階。
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当時の夕食。

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鰻のかば焼きが評判だったとのこと。

今回の旅のゴールは、新居宿の一里塚。日本橋より六十九里。とはいえ、風情もあったもんじゃないけどね。

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在来線の時間があるので急いで駅に戻る。
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今回は、江戸時代の面影を感じられる建物は数少なく、唯一見どころだった新居関所は時間が十分取れない、そして、恐ろしかった浜名湖縦断(笑)。でも、みなさんとご一緒に歩けたのはやはりいつものことながら楽しかった。だからこそ、見どころは少なくても、歩けて良かったと思う、ご一緒してくださってありがとうございました。

そして、私の東海道踏破は、一旦ここでお休みにすることに。

クラブツーリズムの東海道歩きの旅は、江戸からどんどん遠くなり、一泊二日から二泊二日のコースになってしまっている。私は、土曜日、もうほとんど自分のために使えないので参加できない。

あれもこれもは出来ないので、また、再開できる日を楽しみにして、東海道踏破オフの記事を締めくくりたいと思います。

第13回東海道踏破オフ <浜名湖 その4>

その3の続き。

2019年4月6日から、一泊二日で浜松から新居宿まで歩いている。

一日目、浜名湖湖畔のホテルに宿泊。団体客をいっぱい受け入れる宿らしく、エレベーター混みます、温泉混みます、ご了承を、のお宿だったけれど、コスパ良し。なんといっても税込み9,500円(笑)あり得ないお値段だ。さぁ、朝ごはんを食べたらまた🚌で舞阪駅まで行って、東海道を歩こう。

朝、私は桜のお写真撮りたいもんだから先に食堂へ行ってもらってお席取ってくれてたんだけど。


なぜ一列で並んで食べてる・・・💦💦

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ま、それはさておき、ホテルの朝食バイキング。

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そして、ホテルに咲いていた桜はまもなく満開。

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さて、昨日、駅方面に逸れたところから出発。旧東海道の松並木。現在約370本の松が植わっている。

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舞阪宿の碑。
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時化を知らせる浪小僧のモニュメント。
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海はすごそこだ。また国道と合流。

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見付跡。石垣が残っている。ここからは少々当時の風情を残す家並が続いているようだ。

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舞阪の一里塚跡。日本橋より六十八里。
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横に建っているのは、文化十二年(1815年)建立の常夜灯。

ここで、横で逸れて、舞阪郷土資料館へ寄ることに。

シラス漁が盛んなようだ。日曜なので、シラスいないけど。

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舞阪灯台へ。とは言え、灯台の写真がなぜかなくて、灯台からの眺め。

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防風林の松林を抜けて街道へ戻る。

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宝珠院参道口にある常夜灯、文化六年(1809年)の大火のあと、建立。

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宝珠院には、海苔の養殖をはじえた盛田屋彦之丞のお墓がある。このあたりは、海苔の養殖とシラス漁で当時から賑わっていたとのこと。

岐佐神社。古事記に登場する赤石があるとのことで寄ってみた。
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とはいえ、古事記のいわれ知らないし・・・。因幡の白兎のお話に続く話らしい。大国主の尊が抱き留めたとされる石で、ほんのりと赤い。病気平癒のご利益があるとのこと。

街道沿いにはいくつか、歴史を感じさせる建物が残っている。海苔のお店。

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酒屋さん

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本陣跡。
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舞阪宿は、「今切りの渡し」を控え、当時大変賑わった宿場だ。そのため、本陣、脇本陣、問屋などは、先ほど通過した見付からこのあたりに集まっているがほとんど遺構なども現存していない。一つだけ、残っていたものが、脇本陣の茗荷屋清兵衛跡。平成7年に、解体修復復元された建物だ。

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見学自由とのことで内部見学。

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並びに西町常夜灯。文化十年(1813年)建立。
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いよいよ浜名湖到着だ。浜名湖を渡る・・・。そして、新居宿の関所まで行って、吟味を受けることになる。でも、渡れないの。今は渡しはない。

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渡し場跡が残るのみ。観光船はあるみたい。今思えば、橋を渡らず、これ使えばよかったよ~(という顛末記も後日💦)

北雁木跡。
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雁木、がんげと読むらしい。身分に応じて北、本、南とあった。雁木とは乗り降りのために傾斜をつけた石垣のこと。

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東海道は、今切れの渡しの、ここまで。途切れているので、国道1号線に沿って歩くことになる。そして、いよいよ今回のメインイベント、鰻!予約したお店は弁天島にある。

弁天島というのは、波除用に打ち込まれた数万の杭に砂が堆積して出来上がったもの。もともと、浜名湖は淡水湖であったが明応七年(1498年)の大地震で海岸の一部が崩れて海と繋がってしまった。その切れ口を「今切口」と呼ばれた。波除用に杭がいくつも打たれて、また埋め立てなどにより、現在のような地形になっている。

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東海道から少々逸れたけれど、鰻目当てに頑張って歩く。予約は12時だ。弁天島のシンボルともいえる赤い鳥居が見える。歴史的建造物じゃないけどね^^;

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12時予約、頑張れ!結構遠い。予約間に合わない。ってことで、弁天さんにお参りも割愛して歩く。

太助到着!
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まず、乾杯!って飲んでるし。
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それはそれは大変美味しゅうございました。

続く。

第13回東海道踏破オフ <浜名湖 その3>

その2の続き。

2019年4月6日から一泊二日で、浜松から新居宿をめざしている。東海道の面影を残すものはほとんどない国道だ。

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浜松高塚のマクドナルドで少し休憩して、15時15分、再び歩き始める。日が傾き始めわびしさ感満載💦

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カメラのレンズカバーさえもずれて写り込んでるし💧


あの向こうで旧東海道と国道が分かれる。そこから篠原宿。


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立場跡。


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単調な道が続く。舞阪へ17時を唱えながら、歩く・・・。

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一里塚跡。日本橋から、六十七里。
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ひたすら単調な道。

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坪井村の稲荷神社。永享十二年(1440年)伏見稲荷から勧進。建物は大正時代に再建。

 
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向こうから歩いてきたよ。
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東海道には必ず点在する秋葉灯篭と高札場跡の看板。

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いよいよ舞阪だ。

春日大社。慶安元年(1648年)、徳川家光より朱印六石下賜。代々拝領することとなる。

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春日大社なので、鹿がいたよ。
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ようやく、舞阪到着。ここからは、松並木が続く。明日のスタート地点だ。
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ここから、東海道を逸れてJR舞阪駅へ。17時のバスには余裕だった。ホントは、16時発に乗ってゆっくり温泉入って、のつもりだったけど。とにかく乗れてよかったよ。

今夜の泊まりは、THE HAMANAKO

✊✌✋で部屋割りを決めたよ。
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温泉良し、お食事良し。

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見事な夕日だったので、食事途中だったけど走って撮りにいったよ。電線が少々残念だったけど。カメラを新調した甲斐があったかな(笑)

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7日に続く

第13回東海道踏破オフ <浜名湖 その2>

2019年4月6日から一泊二日で恒例のお泊りオフ。今回は、東海道の浜松から新居宿まで歩いてきた。メインは“うなぎを食べる”(笑)

浜松城を見学、スタンプ押印したあとは、歩き、、、いや、お昼ごはんだ💦


浜松城から、さて、交差点をどちらへ?すでにここで道を間違える。東海道を歩かねばならぬ。東海道に戻り、少し歩くとなかなか良い雰囲気のお店が。
 

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さぁ、歩こう。

4月6日、12時40分スタート。


浜松宿は、日本橋から数えて29番目、今日から25番目。ほぼ大阪と江戸のちょうど中間地点にあたり、江戸時代は浜松城の城下町としても栄えたが、第二次世界大戦で空襲に遭い、往時をしのぶ建造物はほとんど残っていないのが現状である。街道は立て看板で当時の位置を知る程度だ。


大手門跡。

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高札場。

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杉浦本陣跡。
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川口本陣跡。
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こんな感じで道は続く。

ここで道をまた間違えたんだな。かなり戻ることに、
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街道名違うし・・。

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東海道へ戻る。ロスは約1キロ??

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東海道新幹線をくぐる。
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八丁畷跡とお向かいが一里塚跡。

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立て看板が東海道だとわかるだけ。浜松は、第二次世界大戦の空襲で焼け野原になったとのこと。とはいえ、ちらほら東海道の名残もある。人が生活しているということはそういうことなんだろうな、と歩くといつも感じる。

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かれこれスタートから約2時間。単調な道は飽きがくる。

神社があったり、

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常夜灯があっても、

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テンションは上がらない。

熊野神社の桜にちょっと癒される。

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浜松領との境界石。ここから堀江領となる。
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暑いし。14時45分、マクドナルドで休憩。ホッとしたよ。一気飲みしたもんで画像なし。

本日の宿は、浜名湖畔のホテル。17時にJR舞阪駅から送迎バスが出ているので、それに乗らないと晩御飯にありつけないわけで。とにかく舞阪駅まではなんとしても17時までにたどり着かねばならぬ。

続く

日本100名城スタンプ No.30 ≪第148番浜松城≫

日本100名城スタンプ記事、No.29の続き。2019年4月6日から一泊二日で、第13回東海道踏破オフとして浜松から新居宿まで歩いてきた。そのスタートは浜松城。浜松城は続100名城のひとつ。

浜松駅から、まず🚕で一気に浜松城へ。分乗で310円也。

細い道をくねくね上がると、そこには見事な桜が。そして、セットで花見提灯そして桜の下にはブルーシート(笑)

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今年の桜は開花は早かったけれどそのあと、低温が続き、オフに見事な桜を見せてくれてラッキー✰

浜松城は、1504年から築城され、後に、徳川家康が信玄を落とすための足掛かりとして、1570年、岡崎から浜松に拠点を移し、城を大改修した。そして、その後17年にわたりここを拠点とした。

家康が去った後も、ここの城主は徳川幕府の要職に就いたことから、出世城と言われていたが、明治になり、廃城となり荒廃してしまった。昭和33年に、野積みの石垣に天守閣を復元し、現在に至る。なので、鉄筋コンクリートです(笑)

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家康公の銅像。

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天守閣の受付にスタンプ。無事ゲット。

続100名城スタンプ 8/100

東海道オフに続く

日本100名城スタンプの続きはこちら

第13回東海道踏破オフ <浜名湖>

 2019年4月6日から7日。恒例となりつつある、お江戸オフのお仲間との4回目のお泊りオフ。今回は、“浜名湖の鰻を食べよう”オフ。

東海道は、浜松から新居宿まで歩く。あくまでメインは鰻(笑)


昨年と同じ東京9時3分出発のひかりに乗っていざ、浜松へ。


まずは、新しいカメラのお稽古。なぜなら素晴らしい桜に出会ったから。踏破の記事の前に桜を。が、いかんせん、なんの予習もしていかなかったのでカメラの性能を生かせない腕前だけれど・・・。

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そして、浜松城は、続100名城なのだ。続く

Jt4.東海道踏破オフ <吉原から蒲原 その6>

その5の続き。あと少しで蒲原宿。だらだら長くなった記事もいよいよ最終。

2018年9月23日、東海道を蒲原宿へ、歩いている。下りになり、いよいよ蒲原宿へ入る。


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光蓮寺。浄瑠璃姫の言い伝えのあるお寺。浄瑠璃姫は、義経を慕って三河から追いかけてきたが、病に倒れこの地で亡くなったといわれる。


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浄瑠璃姫の言い伝えは、“浄瑠璃”の由来になった。


少し東海道から逸れて、義経硯水碑を見学に。ここで、義経が浄瑠璃姫に、手紙を書いたとされる。ホンマかいな


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16時になった。いよいよゴールも近い。東海道、向かって右から降りてきて、左へ。蒲原宿へ。


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蒲原一里塚跡。日本橋から三十八里。


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離れてみると、


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す、すごい・・・一里塚跡のために家をコの字にしてある。


蒲原宿に入った。


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東木戸跡。


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蒲原宿は、比較的、当時の面影を残す家並が続いている。一里塚にはびっくりだけど(笑)

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比較的見どころが多い宿場だが、17時にはバスに乗らなくてはならない。ザっと横目で観つつ歩くことに。


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渡辺家、木屋三階建て土蔵。


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な、なんだろう・・・。イルカすましって。気になるが、とにかく歩く。


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馬頭観音。


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なまこ壁の家。佐野家。

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吉田家。昭和初期まで和菓子製造を営んでいた。この建物は明治時代のもの。玄関はなまこ壁。中は柱がない店の間。とはいえ、外から覗いただけ


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どんど歩くので、振り返って急いでパチリ。よくわからん画像だけれど、漆喰壁が見て取れる。


広重の“夜之雪”の記念碑もある。


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広重の三大傑作のひとつとされる夜之雪だが、この蒲原宿から見える山は、


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虚構の構図だけれど、しんとした山間の宿場に深々と降り積もる雪。旅人の足音が聞こえそうだ。


旅籠「和泉屋」

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西本陣跡。平岡家。この建物は大正時代に建てられた。


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手作りガラスと総欅の家。1,909年(明治42年)に建てられた。当時の最先端の建築材、技術で建てられたそうだ。


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波打ったガラスが美しい。

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御殿道跡。三代将軍家光の御殿があったそうで、広重の描いたであろう山を御殿山、そしてこの道を御殿道と呼ぶそうだ。

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旧五十嵐歯科医院。大正の建物。レンズが汚れていたらしく、画像が白濁している

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志田家住宅。安政の大地震の後に建てられたと伝わる。もともと味噌屋さん。

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美しい格子戸の家、増田家。

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あの角を曲がれば、蒲原宿の西の端。西木戸だ。

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16時50分、蒲原宿西木戸跡到着。

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向こうから来た。

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西木戸の茄子の辻を曲がり、東海道は由比へ。

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バスのピックアップ地点。17時到着。ちゃんと歩けたね。

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次回は、ここから。そして、私は、すでに3キロ先の由比駅からは歩いているので、どうしたもんか考え中。次回は、一人で由比まで歩くしかないかな。
三キロ歩けば、こちらにつなげられる。

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帰りも大渋滞に巻き込まれ、21時過ぎ渋谷到着

バスのお席は、ギリギリに申し込んだので最後列だった。したがって、両隣に人がいる状態。渋滞だったけれど両隣の方たちと楽しくおしゃべりしていたら結構楽しくて渋滞が気にならなかった。こういうツァーでお一人様参加してみようという人たちは、面白い
この吉原から蒲原は、見どころも多く、楽しい東海道歩きとなった。

ただ、クラブツーリズムでは、ここから由比宿、さった峠を越えて興津まで歩いたらそこからは一泊二日のお泊りになる。私は、さてどうしたもんかと思案中。

Jt4.東海道踏破オフ <吉原から蒲原 その5>

その4の続き。記事が何回にもわたってしまった。

 

今回の行程は、距離も長いということもあるが、富士川越え、現存する一里塚、本陣、山あり、海あり、見どころがたくさんあり、楽しい道行だったので、ついつい長くなる

 

2018年9月23日日曜日、東海道を富士川を渡り、間の宿を過ぎ、常盤家を15時過ぎに出発。まだまだ若干の上りがつづいている。

 

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みんな落ちこぼれることなく、どんどんと歩く。多分、ほぼ私より高齢。

 

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みんな黙々と歩いてます。サクサク歩かねばならないので、無駄なガイドがなくていい??

 

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江戸時代、栗の粉で作ったお餅を、さきほど通り過ぎた岩淵の一里塚のあたりに立ち並ぶ茶店で売っていたそうだが、大正時代にすたれてしまったそうだ。その栗の粉餅を復活させて売っているお店が、ツル家さん。

 

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1個、130円也。

 

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お味は、。。ここでしが買えないということで(笑)

 

私たちの団体で売り切れたそうだ。

15時30分。さぁ、また歩き出そう。

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東海道新幹線をくぐる。

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こうして、東海道を残したわけだ。

古くからの家並が続く。

 

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また、少し登りになる。富士川からは結構な登りが続いたような。

 

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ふり返ると、富士山がうっすら頂上が見えた。私のカメラの腕ではキャッチできてないけど。

 

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東名高速を横断。東海道は残念ながら分断されて、架線橋を渡る。

 

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晴れていれば、この金網越しに富士山がバッチリ見える、らしい

 

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いよいよ、この坂を下れば、蒲原宿だ。

続く

Jt4.東海道踏破オフ <吉原から蒲原 その4>

その3の続き。


2018年9月23日日曜日。東海道を歩いている。

昼食後、蒲原を目指している。ほぼ平坦だった道がどんどん上りになった。これは、東海道はもともと富士川沿いを通っていたのだけれど、宝永の大地震や富士山噴火、度重なる洪水などで東海道が流出し、新たに山の中腹を通すように変更されたためだ。

坂道を上ると岩淵村。富士川の渡船料を管理していた間の宿だ。この岩淵は、東海道と、富士川の舟の中継地として栄えた。富士川は甲州と駿河湾を結ぶ重要な水路だった。


 


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そして、常夜灯。


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小休み本陣跡の常盤家。ここは、女優常盤貴子さんのお祖父さんの家だそうだ。とういうことは、本陣の娘?八つ墓村か


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ガイドさん。予約しておくと中を見学させてくださる。


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時間がないのでザっとだって。もっと説明ありそうだったガイドさん


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さぁ、また歩き始める。


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岩淵村の常夜灯。点々とある。


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ここで、お寺にお立ちより。曹洞宗光福山新豊院。住職のありがたいお説教を聴くそうだ。


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なんと、クラブツーリズムとタイアップした?セールスだった。ぽっくり逝けるお守りだって。セールスとわかっていても思わずゲット。おまけに、このお守りの上に宝くじ置いて毎日どこだっけ?の方角をみてなでながら拝むと当たるって。お礼のお手紙をわんさかみせられ、みんな列を作って買ってたので、私も並んで買ってしまった

ぽっくりは、理想だけれど、これだけは、わからない。だからこそ、お守りをゲットしてしまうんだろうなぁ。とにかく、その日まで、丁寧に暮らすしかないのだろう。


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さて、お守りをリュックにしまい、また歩き始める。


岩淵の一里塚。対で現存している貴重な一里塚だ。


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ふり返ってみると、ちゃんと一対になっている。


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東海道は続く。

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護所神社から、雁堤、そして富士川、間の宿岩淵、一里塚。

てくてく、歩く。なんといっても渋滞遅れを少しずつ取り戻しながらなので、みんな気合入れて歩いている。

常夜灯が街道を守る。


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反対側にも。

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続く

Jt4.東海道踏破オフ <吉原から蒲原 その3>

その2の続き。

2018年9月23日日曜日、東海道を吉原から蒲原へ向けて東海道を歩いている。

いよいよ富士川を越える。富士川は、私の感覚から言うと、新幹線下りの時は東京から離れるぞ、そして、上りの時は、トンネルをくぐり、富士川の鉄橋にさしかかるといよいよ東京だぁ、みたいな(東京は、まだまだずっと先だけど)。とにかく、新幹線からの絶好の撮影スポットだ。

江戸時代も、京へ上る時は、絶対富士山をふり返ったに違いない。東下りの時は富士山を目の当たりに川を越えていよいよ箱根越えをするんだと心したに違いないと思う。


向こうに鉄橋が見えてきた。たもとにあるのは、水神社。水難の守り神だ。


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富士川渡船場跡の碑。


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さぁ、いよいよ渡ろう。


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富士川の迫力を直に感じる。そして、振り返ると、


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富士山は雲の中だけれど、十分迫力が伝わる。みんな口々にすごい、歩いて良かった!と思わず言葉が出る。感動だ。


橋を渡り切る。


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🚌が待っていている。バス移動して、昼食だ。道の駅、富士川楽座。東名のSAでもあるらしい。


13時に到着。少し渋滞の遅れは取り戻したらしい。昼食は、


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特にこれということはない暑かったので、お蕎麦が冷たくてよかったよ。


さあ、午後も頑張って歩く。続く。

バスでまたさきほどの富士川の橋のたもとに戻る。すこし上流まで歩くと、


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常夜灯と渡船場あと。


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旧東海道は、この川沿いに下流に歩く道だったが、洪水で道がなくなり、坂を上っていくルートに変更されたそうだ。いよいよ登りになる。


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結構な登りだったよ。


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登り切ったところに、表示。


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ここで、14時20分。到着は17時ごろになるとのこと。さぁ、頑張って歩こう。続く

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